当社の設備エンジニアリングを長年支えてきた石橋良之助さん。その歩みには、技術者としての情熱や、人を育てる力が詰まっています。本記事では、石橋さんのキャリアと想いを通じて、当社の設備業務の魅力や大切にしている価値観をご紹介します。
エンジニア・トラクション部
1979年入社(新卒3期生)
石橋 良之助 さん
INDEX
入社直後から「現場で学びたい」と願い続け
神奈川工科大学の電気工学科を卒業後、「電気保安管理の仕事がしたい」という想いから当社へ入社した石橋さん。四年制大学卒でありながら、「一刻も早く現場で仕事がしたい」と希望し続けていたというから、その情熱は最初から群を抜いていました。
配属先は、入社年にオープンした“こまばエミナース”。当時は設備のノウハウもまだ発展途上で、分からないことは夜な夜な停止中の機械に潜り込み、手探りで学んでいったと語ります。現場で学んだ知識だけでなく、そこから生まれた“人とのつながり”が、石橋さんの原点になりました。
設備業務の体系づくりに奔走し、会社の基盤をつくる
1981年に至誠会第二病院の立ち上げを経て、本社に新設された「設備指導課」に参加。研修計画づくりからテキストの作成まで、設備エンジニア育成の仕組みづくりに約20年携わりました。
当時はワープロすらない時代。現場で書きためた手書きノートを教材にしながら、少しずつ幅の広い研修に仕上げていったと振り返ります。
また、現場の巡回や新規オープンの立ち上げにも数多く関わり、当社が管理してきた多くの設備現場を熟知する存在となりました。
2004年には、遠隔監視システムの移設を主導し、後の「ビステム緊急センター」につながる重要な仕組みを構築。PPP本部LCM部の修繕体制づくりなど、設備業務の骨子となる部分にも深く関わってきました。
“人のつながり”が途絶えない理由
30歳で課長、33歳で部長へ。上席がいない状態で若手を率いる環境は苦労の連続でしたが、同じ現場で働いた仲間とは今も交流が続いているといいます。
また1970年代後半からスタートした沖縄での採用にも関わり、学校紹介を通じて多くの若手エンジニアを迎えてきました。
高卒・大卒・中途・外国籍など、あらゆる背景の人材が混ざり合うことの価値を誰よりも理解しているのが石橋さんです。
近年受け入れが進むフィリピン籍エンジニアの努力家な姿勢にも触れ、「社員のハングリー精神に応える会社であり続けることが大切」と語ります。
維持すべきは設備。盛り立てるべきは“人”
「現場で働く人を維持するのではなく、盛り立てること。それが本支店の役割です」
便利なツールが増えた今こそ、情報の真偽を見極める力が必要であり、現場対応に“決まった正解”は存在しません。仲間と切磋琢磨し、当社オリジナルのテキストで“生きた業務”を学ぶことで、何年経っても錆びない力が身につくと石橋さんは言います。
「育成は、役員を含め皆で考え、議論し、実行し、改善していく。そのサイクルが大切。そして今の当社なら、それができると信じています」
設備業務の基盤を築いてきた石橋さんの言葉は、これからの当社を照らす大きな指標となっています。
現場社員からの声
現場の立ち上げから今まで電気の相談をさせていただいています。いつも優しく教えてくださり助けられてばかりです。石橋さんしか分からないことも多いので、これからも頼りにしています!
二子玉川の現場ではじめてお会いした時、“活発な方だな”という印象でした。 行間を読み、現場にコミットしながら一緒に考えてくださる姿勢に、とても救われています。設備現場にとって貴重な存在であり、責任者としての自分の“立ち返る場所”です。
広報担当
ハリマビステムの広報担当です。ハリマビステムが日々取り組む活動や現場の声を通して、私たちの考え方や姿勢を分かりやすくお伝えしていきます。